「挑戦者の素顔」では、鉄拳の近藤がヤンキーインターンの参加者にインタビューを行い、その素顔に迫ります。中卒や高卒として歩んできたこれまでの人生や、鉄拳の近藤だからこそ引き出せる素顔など、地元を離れ上京した若者のリアルを届けます。
本日は営業を学ぶBusinessコースのTORU、大阪で育ち、新しいことを探しに東京へきたその経緯と今の気持ちを聞きました
荒れて過ごした少年時代。
僕は大阪の界って地域で育ちました・
大阪っていうと、ガラが悪いっていうイメージする人が多いんですけど、僕の育った堺はまさにそのイメージ通りの場所でした。
通行人の人に殴りかかったり、学校同士で乱闘したり、バスケットボールを投げで教室を破壊したり。そんな奴がそこらじゅうにいました笑
一個上のお兄ちゃんが不良グループで、僕も中学に入ってから自然と兄貴に混ざって悪さをするようになりました。
でもいつも頭の片隅には「親に迷惑はかけたくない」という思いがありました。
親父は中卒で現場仕事、お母さんは高卒でパートやってたんですけど、自分たちが学歴のせいで苦労を感じてたから僕たちにはちゃんと教育を受けさせようと考えてくれてたんですよ!
全然裕福じゃないんですけど、学校はもちろん、塾にもクラブにも通わせてくれて。
だからそんな親に迷惑はかけたくないと思って、いつも超えちゃいけない一線は守って遊んでました。
ひょんな事から海外を目指す事に
中学校の時にブログが流行ってたんですよ。
ほんである日友達がブログにハリウッド女優の”ミランダ・カー”の画像を上げとって。
それ見た時に僕
「世の中にはこんな綺麗な人がいんのか!!!」
脳天から雷を食らったぐらいの衝撃を受けたんですよ。ほんまに。
それまで人生で夢とか目標とか無かったんですけど、その時に「ブロンドヘアーの外人の彼女を作る」事が僕の夢になりました。
当時は彼女いたんですけど、その彼女にも「俺はは18までに就職して20で外国行って彼女作って、22歳までには結婚する」って宣言してました笑
目標の為に死ぬ気で働いた2年間。
高校からは自分の生活は自分でやりくりする家族の方針やったんで、野球は辞めてバイト漬けの生活を送ってました。
海外に行くお金貯めようと思ってたんですけど、バイクとパチンコにハマっちゃって高校時代は全然お金貯めれなかったですね笑
で、気づいたら就職の時期。
就職はお金を貯めるための手段としか考えてなかったので、学校の求人から給料の高い工場を選びました。
海外に行くのにだいたい200万くらい貯めようと思ってたんですけど、実際工場で働いてみたら、月2万円くらいしか貯められなかったんですよ。
「このままやったら全然2年で貯金たまらんやん」
そう思って、鳶職やってる友達に連絡して工場が休みの日に働かしてもらうようになってから、毎月10万くらい貯めれるようになりました。
死にそうな顔で、文句を言いながら働く工場の同僚をみて「こんなところから抜け出して、俺は海外にいく」そう言い聞かせながらひたすら働き続けました。
そして1年と9ヶ月で目標の金額を貯めて、成人式の翌日に、ミランダカーの出身のオーストラリアに飛び立ちました。
感動と虚しさを味わった初海外
飛行機に揺られて約10時間。長旅が終わって空港に到着して、周りを見渡したら、僕が夢見たブロンド美人がそこら中にいました!
just like a 桃源郷
感動しました。しばらく感極まってその場から動けませんでした。
でも高ぶった感情が落ち着くに連れて気づきました。
自分がまったく英語を喋れない事に。
知ってるのはI want to ~のみ。あの時の僕は、ただ求める事しかできない無力な男でした。
彼女を作る為にはやっぱり英語は喋れなあかんなって思って、喋れないながらも約1ヶ月過ごした後、語学留学のためにフィリピンに向かいました。
留学先で出会った運命の人。
フィリピンに来てまもない頃に、一人で街を歩いてたんですけど。
その時に同い年ぐらいの地元のフィリピン人のグループに喋り掛けられて「一緒にご飯食べよーよ!」って誘われました。
ほんで喋ってたら「次は友達も紹介してよ!」って言われて、翌週ぐらいに、留学に来てる日本人のメンバーと、フィリピン人で集まりました!
その二回目の集まりの時に初めてあったフィリピン人の女の子に一目惚れしたんですよ。
見た瞬間、ミランダカーのことなんか吹っ飛びました笑
その日から何回か遊んで、すぐに告白しました。まだ英語は喋れなかったんで、グーグル翻訳を使って笑
「英語が上手くなりたかったら、外国人の彼女を作れ!」ってよく言うと思うんですけど、本当にその通りで、彼女と付き合い始めてからは、めちゃくちゃ上達するようになりました。
彼女の家でも過ごすようになって、現地の暮らし、生き方などを経験して、英語以外にも色々な価値観が広がっていきました。
日本に帰って気づいた”自分の無力さ”
留学が終わった後もフィリピンで彼女と過ごして、1年が経った頃に日本に帰って来ました。もう彼女と結婚してもいいなって思ってたから、国際結婚について調べてみたんですよ。
そしたらめちゃくちゃ審査やら手続きやらが難しくて、時間もお金もかかりそうだったんです。
とりあえずニートだったから仕事を探してみたんですけど、、英語をちょっと喋れる以外になんのスキルもない高卒の自分を相手にしてくれる会社はなかなか見つからなかった。
自身はめちゃくちゃあったけど、それを裏付ける根拠がなかったんす。
何一つ。
根拠のある自信を持つため、東京に出る事を決意
そんな時に、留学先で一緒だった友達から「久々に飯いこーや!」って連絡が来たんですよ。
会って相談してみたら、うちの会社来てもいいし、それか”ヤンキー インターン”行ってみれば?って。
友達がハッシャダイの人と友達で、フィリピンであった時にヤンキー インターンの事は聞いてたんですよね
当時は「無料で東京行けて営業学べるんか!また機会あったら行ってみよかなー」って言ってて。
それを思い出して「ここで営業やって数字残したら、根拠のある自身持てるやろ」
そう考えて、ヤンキーインターンに参加する事になりました。
人間的に成長できたインターン生活
正直参加したての時は、他のメンバーの事をなめていました。
誰よりも目的を持って参加してる自信があったし、今までもやると決めたことは達成してきたから、俺が一番やって。
僕って結構人に対して線引きしちゃう人間だったんですよ。「あいつは俺より営業ができないから関わる必要ない」みたいに。その考え方をしていた時は、成果は出ても、人が付いてくる事はありませんでした。
でもあるとき、尊敬している先輩から「もっとみんなと関わった方がいいよ、どんな人でも学べる事は絶対あるから」ってアドバイスされたんですよ。
それで実際関わってみたら、 やっぱりあるんですよね、学べることが色々。10人いたら10通りの考えがある。その時から人によってマネージメント方法を変えて見たり、営業以外でもいろんな部分で成長することができました。
どうすれば自分の人生を生きれるか
やりたいと思った事をシンプルにやるえ。ほんまにこれだけやと思います。
僕はそうやって生きてきました。
外人の彼女が欲しかったらお金貯める。海外に行く。英語勉強する。
ゴールさえ決めて行動してたら、細かい計画なんかなかってもなんとかなりますよ。
仕事はちゃんとプラン立てて行動せなダメですけどね!笑
自分の人生、自由にやりたいことやる。
そうすれば、おもろく人生過ごせると思います!
ヤンキーインターンは若者の挑戦を応援しています
ヤンキーインターンは、東京で半年間の生活をするインターンシップで、未経験の若者に基本的なビジネスマナーや実践的なビジネスなどを身につけるカリキュラムを用意することで、地元では得られなかった様な選択肢を得られるサービスです。インターン中の住まいを0円で提供し、食費や生活費などのサポートも行っており、安心して上京することが可能です。
「未経験だから不安…」、「はじめて地元から出る…」、「仕事やお金はどうしよう…」、など様々な不安があると思います。ヤンキーインターンでは、そんな不安や心配を解消する、無料のカウンセリングを実施しています。
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