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2018.6.9

都会の若者が注目する離島 海士町の”島留学”が教えてくれたこと|みんなのCHOOSE YOUR LIFE

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“人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は”
これは、鎌倉幕府を牛耳る源頼朝から政権を奪還しようと試み、承久の乱を起こした後鳥羽上皇が読んだ詠です。

この詠は、現代語訳すると「ある時には人を愛おしく、また、ある時には人を恨めしく思う。自分の思い通りにならない世の中だからあれこれと思い悩んでしまうよ。」というような意味になります。

そんな後鳥羽上皇が政権の奪還に失敗し島流しの末辿りついたのがこの地島根県隠岐島 海士町です。

今回この地を訪れることになった理由は、私たちが運営するヤンキーインターンの魅力の一つである”地方出身者向けの都心体験型インターンシップ”と真逆の環境にある、”島留学”を運営する隠岐島前高校の取り組みを知ったからでした。

真逆の環境とはいえ、挑戦する若者が成長するための環境を提供しており、さらに、島ぐるみでその活動を行なっているということで、ヤンキーインターンの生徒にも、この記事を見た若者の方にも、CHOOSE YOUR LIFEできる環境は日本にたくさんあるんだ!と知ってもらうことができるのでは、という思いで、今回伺うこととなりました。

『ないものはない』

そんなスローガンまで掲げるこの島には、文字通りショッピングモールはおろかコンビニエンスストアもありません。人口は2,000人弱。しかし、この島にはこの10年間、島外からの若者や移住者が集まり続けています

ないものはない、だからこそある魅力は何なのか。その実態を知るため、私たちは現地へ向かいました。

——————-

梅雨空の東京を飛び立ち、1時間30分ほどの場所に位置する鳥取県『米子空港』に到着しました。
同じ国とは思えないほどの快晴と、こじんまりとした空港は、都会のビル群の中にある建物とはやはり少し違った雰囲気で私たちを迎えてくれました。


早速タクシーに乗り込んだ私たちは、島までのフェリーの出発点である七類港を目指しました。


『はい、ここから島根県だよ〜。』
陽気なタクシーの運転手さんが、空港から目と鼻の先にある県境に差し掛かった時、私たちに声をかけてくれました。

これから海士町に向かうことを告げると、『昔はあそこも大変だったんだけど、今では海士に向かう人を乗せることも多くなった。島をあげて頑張っているからね〜。』と教えてくれました。

楽しく話しているうちに、港へと到着。ちょうど一本前に隠岐島へでた船が見えなくなるようなところでした。


チケットを購入し、フェリーへと乗り込んだ私たちは、出発までの時間に事前学習の為、改めてこれまでの海士町の取り組みがまとめられた資料を読み直しはじめました。

隠岐島前高等学校新魅力化構想

全国から人が集まる東京や都会があるということは、一方で人がいなくなる地域があるということです。海士町はその最たる例。不便で仕事が少ない離島に、若者は住みつかず、徐々に衰退を遂げていたこの町は2000年までの半世紀で約4割の人口減少を遂げていました。そんな、街の大きな課題でありながら希望の一つでもあったのが、今回伺うメインの目的である、島にある唯一の高校『隠岐島前高校』です。

海士町はこの高校を起点に、少人数による不利益・地域との協働や魅力化の動きが起こりにくい構造・教職員人事上の課題・進まないふるさと教育など様々な問題をはらんでいた中で、島と高校の垣根を超えた”魅力化プロジェクト”としてこの問題に立ち向かう組織を発足させました。

町がまずはじめに手をつけたのは、通常一番の足かせになりがちな行財政の改革でした。町長や副町長らが自身の給料などを削減し、一般職員たちもその決意に続き自分たちの給料カットを求め、2005年度には、職員給与が日本一低い自治体となりました。

それだけの覚悟を持ち、取り組みを始めたこのプロジェクトでは、隠岐牛やブランド牡蠣など特産品を中心とした産業の強化が一つ、そして、教育に最も力を入れました。
難関大学進学を目指す「特別進学コース」や地域づくりを担うリーダーを育てる「地域創造コース」などを新設し、島外からの“留学生”に旅費や食費を補助する制度を作り、「島留学」を考案。この取り組みが各メディアに取り上げられ、結果的に2008年に生徒数が30人を切った状況から2012年度からは異例の学級増、現在では179名の生徒が島内島外から集まっています。

ヤンキーインターンでも都会という環境で食費・職業・住居などを無料で提供し、若者が集まりやすい環境を提供していますが、それを資源が少なく思われがちな離島で実践し成果をあげられている海士町での事例を相互に活かしあうことができれば、私たちが掲げる若者の選択格差の解消にまた一歩大きく近づけるのではないかと感じざるを得ませんでした。

様々な取り組みが行われて10年を迎えるこの島は現在どのような状況になっているのでしょうか。そう、期待と疑問を胸に抱き、様々な可能性を視察に向かった社員同士でディスカッションをしていると、気づけば、もう海の真ん中に浮かんでいました。


各離島につくたびに、船内には島の伝統の音楽が流れます。同じように視察に来られた方々や、里帰りに来られた方々で船は活気に溢れ、時々聞こえる方言と、窓の隙間から入る潮風の中でさらに想像は膨らんでいきました。

2時間半の船旅を終え、島に降り立った私たちを迎えてくれたのは、あのスローガン『ないものはない』のポスターでした。

『ないものはない』という言葉は無くてもよいという意味と大事なことはすべてここにあるという2重の意味を持つと言います。 離島である海士町は都会のように便利ではないし、モノも豊富ではないけれど、一方で、自然や郷土の恵みは潤沢であると言えます。暮らすために必要なものは充分あり、今あるものの良さを上手に活かすことで魅力溢れる街を作る。『ないものはない』は、このような海士町を象徴する言葉、島らしい生き方や魅力、個性を堂々と表現する言葉として選ばれました。


港の目の前には地元の踊りキンニャモニャ踊りの銅像がありました。私たちは何回言っても、このキンニャモニャを噛まずに言うことができませんでした。

港を出て歩き進めると5分ほどの位置に隠岐國学習センターがあります。
進学塾や予備校、家庭教師といったものが乏しい離島においては、「島で子どもを育てると、(学力が伸びず)大学進学に不利」という‘常識’が根深くあると言います。そのため、都会と僻地の教育格差は拡がる一方であると一般的に言われていますが、ここでは、離島地域の教育における課題を克服し、「高校卒業までは島の子どもは島で育てる」という信念を実現するために、地域の手によって設立されました。

自由に学べる環境が整ったここでは、プロジェクトベースドラーニング型授業「夢ゼミ」を通じて、生徒の将来の夢やキャリアデザインを明確化する過程で、社会に出て求められる力と学習意欲の醸成を図って運営がなされています。

私たちが伺った際も、学生数名が自主学習を行なっていました。

視察のはじめとして、この施設のセンター長である、豊田 庄吾さんからお話を伺いました。

豊田 庄吾さん – 総合情報メディア企業にて人事、人材育成会社にて大手企業や省庁・行政職員向けの研修講師や、企業の教育CSRプログラム作成を務める。また、経済産業省の起業家教育促進事業で、全国300校以上の公立学校にて起業家精神育成の授業実績あり。

豊田さんからは、魅力化プロジェクトの発足背景から、現在行われている施策まで、短い時間ながら濃密な熱のあるお話をしていただき、終了後もスタッフの方々を交え、質疑応答を行い私たちの質問に答えていただきました。

その中で印象に残ったのは、現在の魅力化プロジェクトは成功事例でなく現在進行形で行われている挑戦事例であるというメッセージです。

自分たちがやってきたことが正解だとも思わないし、現在うまくいっている施策もまだまだ改善の余地があることを認められていらっしゃいました。
そういった姿勢が、魅力化コーディネーターとして質疑応答に答えられていた方々の言葉にも現れており、持続的に改善サイクルが行われている理由なのではないかと感じました。

その後は、隠岐國学習センターの館内見学をさせていただきました。

古民家をリノベーションし作られた学習センターは、生徒がストレスなくリラックスした気持ちで学習に望める様な空気作りが感じられました。

学校が終わった後はこの学習センターに立ち寄り、学年ごとに濃密な授業を受けるといいます。
私たちが見学を行なっている最中も、授業が終わった生徒が続々とここに集まっては楽しそうに今日一日あったことをスタッフの方々に共有している姿が見られました。



この学習センターでは島外からいらっしゃった、たくさんの大人の方がサポートや指導を行なっています。
今後はこの海士町で育った方がUターンで戻って来ることによって、継続的に運営していく仕組みを作っていきたいとおっしゃられていました。


本棚には卒業生が後輩のために置いていった参考書がずらりと並びます。中には後輩へ向けられたメッセージが書かれているものも。
実は海士町には本屋が一軒しかなく、とても全てのニーズを叶えるというわけにはいきません。そういった課題もこの様な文化によって、代々学習するための機能が受け継がれていく様な形となっている様でした。


こちらの冊子は1年に1回、この学習センターで行われている夢ゼミの授業の一環で発刊されており、この一冊は企画からデザインまで全て生徒だけで作られたものだそうです。中には課外活動や働く人のインタビューなどで知った島の魅力や、島外からやって来た生徒も多い彼らだから見える視点で海士町の魅力が書かれていました。

島民の方々と、コーディネーターの方々、そして生徒との三位一体の取り組み感じられる学習センターを出たあとは、緩やかな坂道を上がり、穏やかな海を背にしながら、高校へと向かいました。



正門を通り抜けて、まずは、島外から来た生徒が暮らす、男子寮へと向かいました。

亮までの途中には広いグラウンドで野球部が練習をしていました。部員は10名。静かな小高い丘の上にあるため、バットにボールが当たる音がどこまでも鳴り響いていました。

男子寮は想像以上に綺麗で、聞くと3年前に建てられたばかりだと言うことでした。
「こんにちはー!」
案内をしてくれる男子生徒2名が私たちを出迎えてくれました。

丁寧な挨拶から始まり、各部屋の使い方から学校生活についての話まで高校生とは思えないほどしっかりとした受け答えで案内をしてくれました。

L字型のスクリーンが備え付けられた舞台です。ここではプレゼンを行なったり、スクリーンを利用して遠隔地との会議を行うことができます。

キッチンでは毎日料理好きの生徒が自炊を行なっているとのこと。案内をしてくれた男の子は最近チーズケーキ作りにはまっているとのことでした。

この寮では洗濯物を洗濯機に入れておくと、乾いた状態で部屋に届くそうです。どういうことかというと、次に洗濯を行う生徒がすでに入っている洗濯物を乾燥機に入れ、次に乾燥機を使う人が中に入っている洗濯物をその子の部屋まで持って行ってあげるという文化があるそうです。稀に畳んである事もあるそうな。

何も無い状況から自分たちで作り上げる精神はこんなところにも。竹が生い茂っている環境を活かし、自分たちで一から傘立てを作ったそうです。



寮の中にも学習スペースがあります。ここでは、寝る間際まで集中して勉強を行うことが可能で、受験を控えた生徒たちが、明かりをつけて遅くまで勉強を頑張っているんだそうです。


音楽を聴きながら、ラムネを片手に野球部の活動を見つめ黄昏る青年。



恐らく私たちの様に頻繁に来る視察の方の対応を行い、そこでも社会性を身につけていっているのだなと感じました。
丁寧な説明、礼儀正しい所作、私たちは改めて基本だけれど大切なことを教えられ、寮を出る際には、お借りしたスリッパをいつも以上に丁寧に並べている自分がいました。

そして、偶然にも授業見学週間であったため実際に校舎の中へと入ることができました。

普通の高校と変わらない、私たちにとっては懐かしい風景がありました。


島前高校唯一の部活である7つの部活です。


多々納 校長からは現状の課題を赤裸々にお話いただいた上で、民間や地域の垣根を越えて協力をしていきたいという思いを話されていました。
すでに島前高校では地域どころか国を越えた取り組みも進められており、シンガポールやブータンなどで研修を行うなど、生徒たちの多様性や価値観の拡大に視点を置き交流を促進されていらっしゃいます。


公開授業も見学。授業開始後すぐに生徒の自主性に即した形でアクティブラーニングな学び方を実践されていました。
見学に来た方に、逆に質問をする姿や物怖じせず発言する姿は地元を飛び出して、この高校に来た生徒や、外部から来た生徒を受け入れる体制をもつ生徒たちだからこその姿勢なのでは無いかと感じさせられました。


一般的な授業にも集中して取り組んでおり、私が高校時代に見かけた様な、寝ている生徒や違う活動をしている生徒はどこにも見当たりませんでした(笑)


魅力化プロジェクト以降、たった10年の間で、廃校寸前から入学倍率が2倍になった島前高校の活動は島全体の経済の活性化にも繋がっています。
“今年は実は少しだけ島外に子供達が出ていってしまった” というお話も伺いましたが、かつては50%を上回っていた島外流出も20%以下になっています。
また、若い家族のUIターンの増加や2倍以上になった出生率の増加などからも見られる様に、島の魅力は今高校の魅力化により、子育ての期待感の高まりにより、島全体が希望に満ち溢れている様に感じました。

今回の訪問で、東京という情報や機会に溢れた環境で若者の挑戦を支援する私たちが忘れかけていた視点での取り組みに気づくことができました。

若者の選択格差を無くす上で、チャンスのある環境に飛び込むだけではなく、チャンスを作り出せる力をつけることにも同時に取り組むことはヤンキーインターンの生徒にとっても、さらに成長することができる一因になるのでは無いかと実感が持てましたし、今後のカリキュラムにも取り入れていこうと思いました。

————–

更に魅力を増していくであろう隠岐島も、思い出すと、後鳥羽上皇が天皇であるにも関わらず島流しの末たどり着いた場所でありました。

しかしながら、人に対する希望と失望を詠った彼はこの地で同時に下の様な詠も読んでいます。

「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」

これは現代語に訳すと「私が新しくやって来た島のリーダーである。隠岐の海の荒波と風たちよ、その事を心に留めて充分気をつけて吹くのだぞ」という意味になります。

現状に悲観を持つのではなく、この地にやって来たからには自身の才能でこの地に文化の花を咲かせてみせる!
そんな後鳥羽上皇の強い決心と想いが、この島に住む人たちに、若者たちに、受け継がれているのかも知れません。

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