プロBMXライダーとして全日本大会と全日本シリーズ、アジア大会全てで優勝し、来たる2020年に行われる東京オリンピックでの表彰台を狙う。
20インチの車輪がついた自転車を操り、 約300m~400mくらいの距離に障害物を超えてスタートからゴールまで8人でレース行うBMX競技。
難易度の高い競技性から決してメジャーでは無いスポーツであるが、スリルと達成感に魅せられて幼い頃から競技を行う。彼にとってストリートが遊び場であり練習場、私たちから見れば何も無い道がコースだ。ようやく、頂点が見える距離にまでやって来た。
しかし、ここまで来るために、ブレないCHOOSE YOUR LIFEを持ち続けて来る必要があった。
きっかけは仮面ライダー
幼椎園の時、大泉緑地と言う近所の公園に家族と遊びに行った。ここが僕のこれまでのキャリア
の始まりである。そこには珍しくBMXコースがあり、その日たまたまレースをやっていた。
とんでもない速さで走りながら、アクロバティックなジャンプを繰り出す。歳の離れたお兄さんたちが行っていた競技は自らの中で当時どハマりしていた仮面ライダーと被った。
自分はその場で両親に「これしたい!」と懇願。
両親もまさかここまで続けるとは微塵も思っていなかったはずですが、驚きながらも承諾してくれたことに感謝しています。
その後小学校では、年齢別クラスで日本一の成績を収めたり、常に先頭集団にいた。
とはいえ、好奇心旺盛な小学生。周りがいろんなことを始める時期に自分もチャレンジしていた。
よくあるスポーツからスノーボードまで。しかし、何か自分の中で違っていた。
勝つ負けるより誰にもできないことがしたかった。
仮面ライダーは誰にもできないことを成し遂げてる。僕の興味は全くブレなかった。
あんなにもカッコよく飛んだり走りたかった。
早咲のキャリアから一転地道な日々が続く
日本一をとった後も、家族でアメリカに行き大会に出場するなどしていた。
周りからもBMX をしていることは知られるようになった。しかし、周囲にはそこまで理解してもらえていないこともわかっていた。特別扱いを受けることもない、学校のみんなといればそこには普通の学生生活が待っている。
黙々と自転車に乗り続ける毎日を過ごした。
17 歳の頃、少しだけ世の中で BMX がブームになり、街でも BMX をする人が増えるようになった。自分自身もジュニアエリートという上級のクラスヘ進んでいた。
BMXでプロとしてご飯を食べられるのは1 人か2人しかいないことはわかっていたが、好きな
ことを続けることだけは曲げたくなかった。
活動資金を集めるため、高校卒業後はBMXを続けることに決めた。
しかし、世の中はそう甘くはない。両立ができずに一年で退職。その後アルバイトをしながら試合 ヘ臨む日々が続き、完全に集中し競技に臨める環境ではなくなっていた。
集中したい。想いと裏腹に続くスランプ
周囲に負担をかけていることもわかっていた。自分もこの状況を早く打破したかった。 しかし、その焦る気持ちがさらに訪れた不調ヘ拍車をかけてしまう。
この頃最上級のエリートクラスに昇格するも、ここから訪れた約 5 年間、もがきにもがいた。しかし結果が出なかった。
現状を抜け出すために自らスポンサーの営業もした。マイナースポーツなので、当たり前だが自分で営業をかけなければならなかった。レースに集中したいが、不器用なりに、資料を作って企業に電話をかけたりもした。しかし、自分に協賛してくれる企業は簡単には現れなかった。
CHOOSE YOUR LIFE – 継続の先に訪れた未来思考 –
どんなに毎日がつまらなくても、どんなに間題が起きても、続けていることがあった。それは、5歳から行ってきた練習である。誰も挑戦しない場所をジャンプしたり、
様々な挑戦をしているうちにきっと道が開けると信じていた。
そして僕はその過去を企業に説明していた。
これだけの成績を出してきた、これだけやってきた、と。
しかし一つだけ伝わっていなかったことがあった。それは、僕の”目標へのプラン設定”だった。
これからどこを目指しているの?そう聞かれると、これまでの自分は「もちろんトップです」と答 えるしかなかった。だってそう思っていたから。
しかし、企業の方からすると、それでは他のプレーヤー達と大差なかったのである。 具体的に何を目指しているのか、僕にはそれが必要だった。
そこから僕の目標は明確に東京オリンピックヘ標準が定まった。そのために必要なことを年単位•月単位•そして一日単位まで落としていった。
結果を出す一年前から、応援してくれる企業も出て来た。
そのおかげかさらにトレーニングに集中できるようになった。
僕はもう迷わないし、不安も持たない。絶対に金メダルを獲得する。僕が未来を向くと、未来もこっちを向いてくれると気づいたからだ。
そして金メダルを獲得したあかつきには、このスポーツをさらに多くの人へ身近なスポーツとして広めていきたいと思っている。
JUKIA YOSHIMURA × HASSYADAI
自分から自転車をとったら何も残らない。自転車は僕の始まりであり今です。
HASSYADAI も中卒高卒の若者にとってきっと僕の自転車のような存在になると思っています。
参加者の方々は今経験していることが将来役に立つのか、不安だと思います。
そんな時には自分に明確な目標があるか立ち止まって考えて欲しい。それは僕の経験からアド バイスできることです。
自分の人生を自分で選んでいると言う点において僕とヤンキーインターンの参加者の方は仲間 だと思っています。
僕はその仲間代表として CHOOSE YOUR LIFE な選択をすることによってどういったことを成し遂げることができるのかを結果で見せたいと思っています。
そして、日本に可能性と闘う仲間を増やしていき協力したいと思っています。
一緒に未来ヘ飛び立ちましょう!僕は自転車で。みんなはハッシャダイで。
吉村 樹希敢
5歳の頃近くの公園に遊びに行きその時BMXコースを初めて見たのがきっかけでBMXに乗り始めた。
それから全国を転戦、小学生の時にBMXの本場アメリカでのレースにも出場。
国内の年齢別クラスでは優勝を重ね年上の選手にも引けを取らない実力を備え、
14歳の夏、カナダUCI世界選手権大会に出場、翌年中国での世界選手権大会では6位入賞。
2008年にはBMXレースがオリンピックの正式種目となり、オリンピック
に出場しメダルを獲得することが自分の目標になった。
現在海外を転戦し出場できるように活動している。