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2017.10.20

ハッシャダイ初の女の子。ススキノから上場企業最年少内定へ〜挑戦者の素顔〜 MOMO(20歳)

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「ヤンキーインターンに女の子が入ってくるらしい!」
その知らせを聞いたインターン生達は目を見開いて驚きました。もちろん社員もそう。
「こんにちはっ!」
2016年の年の暮れに北海道・札幌からやって来た色白の元気な女の子 MOMO。
「挑戦者の素顔」では、ヤンキーインターンの参加者にインタビューを行い、その素顔に迫ります。中卒や高卒として歩んできたこれまでの人生や、地元を離れ上京した若者のリアルを届けます。

普通じゃない家庭だった。それでも私は幸せだった。

父、母、弟二人と共に育ちました。実は父とは血は繋がっていません。多感だった中学生の時の再婚だったこともあり、名前が変わることに少し抵抗はありました。
それでも、可愛い弟も二人できたし、私自身も普通の家族と違って一人何かが足りない違和感を持っていたこともあったので、嬉しい気持ちも大きく、五人が一つの家族になることは比較的早かったと思います。

お母さんはどんな時だって私の話に耳を貸してくれる優しい大切な人。そんなお母さんが愛したお父さんだから、私も早く好きにならないと!そう思っていました。しかし、お父さんはすごく厳格で厳しかった。そのせいで歯車が少しずつ狂いはじめました。

たびたび、厳しい指導を受けた私は反抗期と重なったこともあり、次第に衝突が多くなってしまいました。
どうしても納得がいかない私は“実の父親じゃないからこんなことを言われるんだ”なんてよくない考え方の転換をしてしまったり。
もちろん、若すぎた私は事あるごとに注意してくる父親を言葉で納得させることなんてできませんでした。

次第に離れる心、そして、施設、夜の街へ

衝突が頻繁に起こるようになった頃、私は家出をしはじめました。もちろんお父さんはカンカン。
ある日、家に帰るとそこに待ち受けていたお父さんと激しい口論に。そこで起きた喧嘩が大きくなってしまい、私は児童養護施設に入ることになってしまいました。
そして、高校生活の私の家はそこになりました。

高校生活自体はすごく楽しかった。でも、家族に費やす時間は無くなってしまった。次第に友人と過ごす事が多くなり、少しずつ非行少女になっていました。つるむ友達もちょっとチャラい人が多くなったり、あまり家に帰らない人達と遊ぶこともありました。
ただ施設自体が厳しく、それが唯一の私の歯止めとなっていました。
家族と離れ、身体も心も自立した。だけど施設に縛られることにより、自由だけが私にはありませんでした。

そんな生活をニ年続けた高校三年生の時に施設を出所。とっても久しぶりの、なんだか初めてのように感じた家族全員との時間ができました。施設に入る前は、仕事優先で怒る以外は構われたこともなかったお父さんが料理を作ってくれて、昔の事を謝ってくれて。私もとっても申し訳ない気持ちでした。
しかし、このニ年間で、良い意味でも悪い意味でも自立してしまった私がそこにはいました。
“この世に頼れる人なんていない。自分で生きなきゃ。”そう思っていました。

そんな私だったからこそ、ある日また事件が。
本当に本当に施設に入る前のものと比べたら、些細な口論からまた喧嘩に。
喧嘩の最中にリビングを飛び出し、自分の部屋に閉じこもっていた時に遠くから聞こえて来た「あんな子産まなければよかった。」の一言で私はすぐに家を飛び出しました。

嫌なことがあれば、一人で生きていけば良いと思ってたからこそ思い切った訳でもなく、ごく自然に。
内緒である事を約束に祖父母の家にかくまってもらうことになりました。
でも迷惑はかけるわけにはいかないし、自分で稼がなければいけない。
だから私は高校のクラスで唯一、進学をせず高卒で働き始めることにしました。

最初はススキノにある飲食店でずっと働いていました。
でもそれだけじゃ圧倒的にお金が足りなかった。このままじゃ一人で生きていけない。
そんな事を思い悩んでいたある日、ススキノ特有の甘い誘惑によって、声をかけられた私は、夜のお店に体験入店をすることになりました。

ススキノに浸かりかけた私の視線の先にいたスーツの女性

そこから昼の飲食店と平行してちょくちょく働きにいくことになりました。
昼の何倍も稼げる仕事でびっくりするほどのお金が手に入る。自由に暮らせて自由に買い物ができて、今まで縛り付けられていたものが全て解放された気分になりました。そんな生活を少し続けていて、朝帰りになった日の札幌駅のこと。

目の前に、スーツを着た女性が家族であろう人と笑顔で電話をしながら駅に入っていく姿を見かけました。

派手な服を着て、今この時間までお金の為に心を殺して働いていた自分と、目の前を通った女性が驚くほど違って見えて、
“あれ、私ってなんで生きてるんだっけ。”
と、初めて思ってしまいました。

そこから少しだけ記憶がありません。気がついた時には路地裏の隅っこで大粒の涙が溢れ落ちた跡がある地面を眺めていました。

このままじゃダメだ。こんな働き方をいつまでも続けるわけにはいかない。
あの女性のように今を楽しみながら明るい未来の為に家族と仲良く進んでいく。そうなりたい。心の本当の叫びが出てきました。

初めてかけられた些細なひとこと

「高卒 転職」

片っ端から色んなサイトを検索しました。そこそこな給料の求人はたくさんありました。
でも、自分がスーツを着て働いている姿がどうしても目に浮かばなかったんです。

そんな時にたまたま見つけた“ヤンキーインターン”の文字。

なにこれ面白い!と思ったのと、別に聞いて変なとこならやめれば良いし!ぐらいの軽い気持ちですぐにお問い合わせをしました。
そんな軽い気持ちだったからこそ、返事が来た時も、あれ?私問い合わせしたっけ?ぐらいの記憶でした。笑

電話が繋がり、開口一番私は大声で電話越しに質問をしました。

「あの、私高卒で、これまでススキノで働いていたようなどうしようもない人なんですけど、こんな私でもスーツを着て働くことはできますかっ?」

あ〜高卒だし無理無理とか、ススキノか〜とか言われると思い込んでいた私に電話の向こうにいたハッシャダイの人はこう言ってくれました。

「できますよ!一人で悩んでたんですね!もっと頼って良いですよ!僕たちを」

厳しい親父の叱咤を、自分自身を全否定されているように感じていた私にとって、その言葉は暗闇の中にさす光のように感じて、思い立った時には急に実家に帰り、一言だけ残して家を出ました。

「絶対、私のこと、産んでよかったって思ってもらえるように頑張るから。私、東京に行ってくる。」

頼っていいんだ。と知った時に気づいた自分の可能性

東京に来てからは知っての通りハッシャダイ唯一の女の子として、研修に参加しました。これまで1人で働いたり、女性に囲まれて働いていた私にとって、お兄ちゃんの様な人達がたくさんできました。
でも研修中につらいことがあると、どうしても1人で抱え込んでしまう。そんなときに研修同期のみんなも、社員の人達もいつも声をかけてくれました。

「MOMO、顔暗すぎ!!何かあった??」
「MOMO、顔膨れてカービィみたいになってるよ〜ww笑顔笑顔!」

もう、うざい!って思うくらい構ってくれたんですけど、変に重く声をかけるのではなく、ふざけて軽く声をかけてくれたことで気持ちも楽になっていった気がします。
一人で抱え込むことも本当に少なくなりました。

そんなときに、はじめて私は“人に頼っていいんだ。”と気づくことができました。

そうすると私のマイナスな部分は影を潜め、新たな自分の強みにも気づきました。
それは、私がこれまで絶対にこうなる!と思ったことは必ず実現しているということでした。

ススキノの時もそう。この金額だけ稼ぎたいと思ったら手に入ったし、ハッシャダイを見つけた時も多分私ここに入るな!と思ったら入れたし、他にも語れるエピソードはたくさんあります。
これを私は単に直感が強いだけだとこれまで思っていたけれど、それは違ったのかもしれません。

私には絶対に実現させてやるという想いの強さと強い自信を持っているのだと今だから思います。

くじけそうになるブレーキは弱かった過去のおかげ

それでもヤンキーインターンの研修は簡単なものばかりでは、もちろんありません。
くじけそうになったこともたくさんあります。だけどそんな時にくじけずにいれたのは、もちろん周りのみんなのおかげもありますけど、やはり北海道にいた頃の自分に戻ってしまうのではないかという考えからでした。

そして、無事ヤンキーインターンでの研修を終え、ハッシャダイの広報として活動をしながら就活をはじめました。
ハッシャダイを知り、企業を知り、社会を知ることで、これまでの無知な自分とさらに出会うことができました。
そうすると、昔に自分がぶつかっていた父親に対しても心の変化が起きました。

誰にも頼れないと思っていた私の考え方から、何か問題があると他人のせいにばかりしていたんじゃないか?ということ。

よくよく考えると、
なぜハッシャダイの社員がこんなに熱くインターン生にぶつかることができるのか
なぜ企業はここまで顧客の為に課題解決を真剣に考えるのか
なぜ社会は人と人とがこれだけ関わり合う中で成り立っているのか

それは全て“愛”ゆえ、なんじゃないかと思うようになりました。

お父さんも私が嫌いで怒っていたんじゃない。血が繋がっていないからこそ必死で真剣に向き合ってくれていただけなんじゃないかと心の底から思うようにもなりました。

こうした気づきから、さらに私の就職活動にも気合いが入りました。今までお世話になった人達、お世話になっていると気づけていなかった人達に全力で恩返しをする。
もう私は迷いませんでした。

勝ち取った上場企業からの内定、次は私が助ける番

“MOMOさんにはぜひうちに来ていただきたい。”
私が心の底から欲しかった言葉をついに聞くことができた、今年の秋。

上場企業からの内定の連絡と同時に聞かされた、全社で最年少の社員になるという連絡。
すぐに、母に父に、弟たちに連絡をしました。全力で喜んでくれて涙が出ました。ハッシャダイの人達、私の大切な人達も自分のことのように喜んでくれました。

私はなんて幸せものなんだ。これまで、なぜこんな人の暖かさに気づかず過ごして来たんだ。と、本当に後悔をしました。しかし、同時に私には新たな目標ができました。

絶対に成長して、いつかハッシャダイに入ってくる自分のような悩みを持った人達に「私に頼って良いんだよ」って言いたい、そう思っています。

期待もいっぱい、でも不安もいっぱい。もちろんこれまでみたいに壁にぶち当たることもあると思います。でも、わかるんです。

きっとうまくいく!

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