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2019.11.20

「自分に合った仕事って何?」歯科技師をやめてフリーターになった僕のトラベルスクール

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「つまらない」と言う「つまらない自分」

「あー、つまらんなぁ〜」これが僕の口癖でした。

はじめまして、谷口といいます。四国の片田舎で育った僕は、特に夢などを持たず、高校を卒業後は成り行きで進学した歯科技工士専門学校に進学。それでも、学生生活の中で刺激的な出会いは多く、2年間の勉学の末、無事免許を取得後。晴れて、歯科技工士となりました。
歯科技工士の業務というのは、あなたが歯医者に行った時に診断や治療をしてくれる歯科医師さんの指示の元、いわゆる差し歯や詰め物、入れ歯や矯正装置といった歯科技工物を製作する仕事です。

人の生活にとって当たり前の存在である歯は、当たり前がすぎる故に、虫歯になったり問題が起こると、どんな場所の病気や怪我よりも生活に支障をきたします。例えば髪の毛が口に入った時に分かるあの感覚など些細な違和感でさえ、です。だからこそ、歯科技師には細心の注意が要求される責任のある仕事でありやり甲斐や情熱を抱いて仕事をしていました。

少しずつですが仕事も認められ、取引先歯科医院での評価も頂いていたかなと思います。そんな仕事に、違和感を感じはじめたのは、5年経ったある日のことでした。

実は、歯科技工士の仕事というのは、数十年前と比べてかなりマシにはなりましたが、3K(キツイ、帰れない、給料が安い)のいわゆるブラックな業界と一般的に言われています。
毎日会社と家の往復で終わりになってしまっていたのかもしれません。

その日は、半年に一回ある仕事の評価が言い渡される日でした。いつもこの日はちょっとだけワクワクします。

「山口くん、今回の評価は~だったよ。引き続きよろしくね」

評価はいつも通り上がりました。しかし、前回の評価の上がり方より鈍化していました。
思い返せば、ここ1年はずっとそうでした。確かに右肩上がりで評価され続けているんですが、年数が経つごとに評価のハードルは高くなり、以前乗り越えた壁は、次の当たり前になります。

(はぁ。また次の評価まで、同じことの繰り返しか…。)

「あー、つまらんなぁ〜」

昔から、つまらないことには正直につまらないと思ってしまう。
そんな僕のいわば口癖の様な言葉が、歯科技師になってから初めて僕の口からこぼれ出ました。

いつもは、車の排気ガスの様に、空気中に排出されてはもやもやっと透明になって消えていくはずの言葉だったが、今回は違いました。

僕は、いつしか、歯科技師としてのやりがいが形を変えてしまっていたことに気付きました。
歯科技師をはじめた時、責任のある仕事であることに誇りを持っていました。それが僕のやりがいであったのかもしれません。それも日々、真面目に愚直に仕事をする中で、いつの間にか当たり前になってしまった僕の仕事のやりがいはなくなり、『なんかもうちょっと他の事やってみても良いんじゃないか』と漠然と思うようになりました。

周りに「歯科技師です」と自己紹介すると「すごい」と言われることは多いです。でもそんなの上っ面でしかありません。このままじゃ、自分の中で大切なことを忘れてしまったまま仕事をし続ける人間になってしまう。

私はとても狭い世界に居た気がしました。シンプルに環境、ここでいう会社を変える事も考えましたが、そのまま歯科技工だけをやっていて自分が何か変われるのだろうかと、こんな低い熱量で続けていても自分が成長出来るのだろうかと。狭い世界に居る自分とどんどんつまらない人間になっていってる自分に嫌気が指していました。

“つまらない”ことをし続ける”つまらない”人間になるのだけは嫌だ。

そう思った僕は、周囲の反対を押し切って、フリーターになりました。

普通の仕事ってなに?

何か明確にやりたい事があった訳ではありません。
”つまらない自分でいたくない”。私は自分に何か変化を与えたかったんだと思います。
僕は、自分に何か変化を与えたかったんだと思います。
だから、やることにこだわりなんて特にありませんでした。

まずは色んなことをしてみるか〜ぐらいのノリで単発バイトをはじめました。
世の中には色んな仕事があることを知りました。
そういえば僕は歯科技師一直線で、他の仕事を考えたことはなかったし、普段の生活で出会うたくさんの仕事を自分ごとで考えることはしたことがありませんでした。

面白い仕事もあったし、無論”つまらない”仕事もありました。

そして、発見もありました。

どちらの仕事にも、楽しそうに仕事をしている人とつまらなさそうに仕事をしている人がいることでした。
歯科技師をしている時の僕は、周囲から見たらどちらに見えていたんだろうかと疑問に思いました。

少し外に出てみると世の中色んな人が色んな事やっていて、人それぞれに背負ってる物抱えている物もあって、色んな考え方や価値観を持っています。頭では分かっていたつもり、知っていたつもりの事も、実際肌で感じてみると、それは全く新たな視点でした。

そうした物事に接してみて自分の本当にやりたい事を考えたりして。

世の中の仕事は全て、専門的な仕事だと思っています。
その中には特別な技術が必要とされ、技術の習得に時間がかかり、”すごい”と評価される仕事があります。
一方で、技術の習得に時間がかからない、一般的に言われる誰でもできる仕事があります。

僕は後者をどこか”普通の仕事”と思っていました。

でも、実際体験する”普通の仕事”は全然”普通の仕事”じゃありませんでした。それもそのはずです。仕事ってのは誰かに何かの価値を提供して、それをありがとうと思ってもらうことによって、対価としてお金をもらうことができる。

それが、ファミレスのホールだったり、コンビニの店員だったり、ガソリンスタッフのスタッフだったりするわけです。どんな仕事にも、お客さんに対して責任があって、それを果たさなくっちゃいけません。

その責任ある仕事を楽しいと思えるか、つまらないと思うかはその人次第なんだなって気付きました。

僕はこれまで、歯科技師という仕事のみ、いわば一つの物差しだけで”仕事”と言うものを捉えていたわけですが、あらゆる仕事を経験し、物差しが増えたことによって、いつしか”評価”なんてものは忘れ、仕事が持つ本来のやりがいと向き合える様になりつつありました。

そんな僕は、これまでの単発バイトを辞め、工場で働きはじめました。それこそ、仕事は単調だしつまらなさはありましたが、目的はお金を貯めるためでした。特に意識はしていなかったけれど、本当にやりたい仕事に向かい始めていたのがこの頃だったのかもしれません。

しばらく続けていた工場の仕事でしたが、ゴールデンウィークに稼働が止まり長期休暇になることを知りました。お金を貯めることが目的の僕としては少し困ることになりました。

この期間だけ働く仕事を探すか迷いましたが、そんな都合の良い仕事も少ないので、どうせならもう工場を辞めてしまって、お金を稼げて、面白い経験ができる仕事はないか、そんな希望も込めて、コンビニの求人誌を手にとりました。

どう変えるか、何を変えるか

ペラペラ、ペラペラと、読む気もない雑誌を読む様にページをめくりました。
それもそうです。地元の求人誌に載っている様な仕事は、もう何度も見ました。
あ、まだこの求人出てるんだ。そんな感想を持てるぐらいには。
もちろんインターネットで検索もしましたが、やはり地域を住んでいるところの近くに絞ると似たり寄ったり。

まぁ地元じゃこんなもんだよなぁ〜。
みんなどうやって仕事探してるんだろうか。

そんな、誰かにすがりたい気持ちも芽生出した時、僕は久しぶりにTwitterを開いていました。

タイムラインで見る地元の友人たちは、みんなそこまで変わっていませんでした。

あ〜、そうそう。あいつこの仕事やってたな〜。まだ続けてるんだな〜えらい。
そんなことを思いながら、パッパッと上にスクロールする親指は、求人誌をめくっていた時と同様に加速していました。

その時、ふと、親指が止まりました。
さっきまでの友人たちの投稿では見たことの無い文章と写真が一瞬だけ見えました。
僕は慌てて、元の投稿に戻りました。

「地元を飛び出して、旅する様に働く…」

僕が見たのは、ハッシャダイリゾートというサービスでした。地元を離れて暮らすことは何度か考えたことがあったし、そのためにお金を貯めはじめたというのも一つあったが、家のことも仕事のことも考え無いといけないし、現実味は湧いていませんでした。

そんな僕にとって、家も仕事もついていながら、地元以外の場所で働く経験ができる方法があるなんて思ってもみませんでした。

これは面白そうだ。

すぐにチャットを送り、電話をしました。僕の希望を聞いてくれたので、どうせだったら極端に遠い所に行ってみたいと伝え、相談の結果、北海道を選びました。
仕事はホテルでの調理全般の仕事。面白そうかはわかりませんでしたが、今までやったことはなかった仕事です。

出発日も決まり、柄になくワクワクしていたが、一つだけ不安だったことがありました。

北海道で仕事以外の時間に何をしようかなということ。

初めての地元以外での暮らしだし、旅行がてら散策も良いんだけど、もったいない時間の使い方はしたくありませんでした。だからといって、地元以外での暮らしの時間を濃いものにする方法も周りでそおゆうのに詳しい人もいませんでした。

出発前の連絡がハッシャダイから来たので、正直にこの思いを伝えてみました。
別に大したアドバイスは期待していませんでしたが。

それでも言ってみるもんだなというのは今だから思えます。
ちょうど最近『トラベルスクール』という仕事外の時間の学びの最大化をするための学習カリキュラムの提供を行う取り組みをはじめたとのことでした。

その電話で僕は、”やりたい”という思いを伝えました。

細かいことは、北海道についてから決めることになりました。初めての地元を離れる暮らしにも関わらず悩みも不安もなく飛行機に乗ろうとしている自分に、笑いそうになりました。

「あー、つまらんなぁ〜」

キャリーバックを引く、空港ゲート。
ワクワクした気持ちを抑える様に、
僕は、少しニヤけながら、そう呟いていました。

視点を変えれば、全てが学び

無事北海道に到着し、住み込みの寮で荷物も整理し終え、働きはじめました。

新しい土地は新鮮でした。
経験の無い仕事とはいえ、慣れるのに苦労もしませんでしたが、何より新鮮だったのは、そこにいる人たちでした。
今まで地元では聞いたことの無い方言があちこちから飛んで来て、考え方や物事の捉え方に違いを見つける。地元では何気ない仕事の時間が発見の連続でした。

また、出発前に決めたトラベルスクールへの参加も始まりました。
カリキュラムは、「マーケティング」と「コミュニケーション」に決めました。
理由は、ここでの仕事に活きるとは思わなかったけれど、これからの人生に活きるのでは無いかと思ったからです。
後は昔から少し興味があったこともあります。ただ以前勉強してみた時は、仕事に活かすことが目的でもなく独学での勉強だったこともあり、3ヶ月もたたずに辞めてしまいました。

今回は、担当となったトラベルスクールの吉川さんが「壁打ち役に僕を使ってください」と言ってくださいました。
気持ち程度での声をかけてくださったんでしょうが、結果僕にとっては、誰か相談できる存在がいるというのはとても大きかったです。

それから、仕事が終わるとトラベルスクールで勉強をする、行き詰まったら北海道の街に出てみるという毎日を過ごしました。

全ての時間が僕にとって貴重な時間でした。
北海道の空気は、地元よりも澄んでいる気がしたから、歩こうと思ったらどこまででも歩いていけました。行ってみたかった日本最北端の場所にも行ったし、道中には野生の鹿とも出会いました。まだ兵庫だったら、暑い暑いと言ってるであろう季節に雪も降り出しました。

自然の様子が違えば文化も違います。住宅の玄関はどこも二重で分厚く、みんなあったかそうな格好をしています。明らかに薄着の僕には何人も心配の声をかけてくれました。
地元で見知らぬ誰かから声をかけてられる時ってあったかなぁと思い返しました。

トラベルスクールでは、一週間に課題となる動画が5つくらい送られてきて、その動画を見て思ったこと、感じたことを吉川さんと共有します。何か勉強をした後に、誰かに共有するという体験も初めてでした。課題の動画の一つは、以前たまたま見た動画もあったけど、誰かに気づきを話すという目的を持ってみるのと、流し見しているのでは、入ってくる情報が全然違いました。

仕事では、関わる人によって同じ仕事でも進み方から考え方まで全く変わる様になりました。地元に住んで働く人もいれば、毎年この季節になるとここに働きに来る名物おじさんの様な人もいます。そして、僕の様に新参者もいます。なのに上手く仕事が回る。
人が変われば、これまで隅っこにいた人がリーダーとなったり、やることが変われば、この前までリーダーだった人が誰かの言うことを聞く様になりました。
こんな体験はこれまでしたことがありませんでした。僕が地元で触れ合ってきた仕事は、基本的に同じ人間関係の元で積み重なっていき、あまり変化が起きません。そもそも、人の入れ替わりが多いところに重要な仕事は任せられないと思っていました。でも、ここでは、それが全く無いんです。
責任のある仕事を任された中で、人間関係を構築し、情報を共有し、上手く行ったことも上手くいかなかったこともすぐに反省して次に活かす。そんなサイクルが自然に生まれていました。

トラベルスクールでは、課題が新たなフェーズへと進んでいました。
これまで、動画でのインプット・吉川さんへのアウトプットを繰り返す中で出た気づきのリストアップされたものを、実際の仕事の中や人間関係の中で実践してみようというものでした。

これによって、仕事も自分の中でもう一段上の気づきを得られる時間となりました。
これまでと同様に、仕事の中で気付いた課題に対して、動画で学んだ気づきのリストアップされたものから試すことを選び実践する。そして、できたこと、できなかったことを吉川さんに共有する。こうして、これまで仕事の中で、かつて動画を流し見していた時の様に、通り過ぎていた仕事で起こる一つ一つのことが、全て自分の学びになる様になっていきました。

北海道での仕事は5ヶ月間と決まっていましたが、その次の仕事についてはまだ考えていませんでした。だけれども、この5ヶ月間の先に新しい自分が見つかるかもしれないというのはなんとなく感じていました。

残り1ヶ月となり、トラベルスクールのカリキュラムも終わりに近づいていました。
吉川さんからの問いかけに対して、以前よりも自分なりの回答を答えられる様になっていた。

その頃から、自分の中で明確な変化が起きていました。

トラベルスクールでの課題は、ここまで学んできたことを卒業後、要は仕事が終わった後、次にどう活かすかということに焦点が変わってきていました。
これまで漠然とした”次”にどう活かすかで悩んでいた僕は、この頃からなぜか、”歯科技師の時、このことを知っていたらこうしたであろうか”と考える様になっていました。
そうすると、スッと答えることができる様になっていたんです。

不思議でした。あれほど自分の中で”つまらない”とレッテルを貼っていた歯科技師の仕事が、自分の中でワクワクするアウトプットの場に変わっていたからです。

そして、トラベルスクールの最後の課題であった、「卒業後、今回のハッシャダイリゾートでの学びをどう活かしますか?」という吉川さんからの質問に対して僕はこう答えました。

「次は、地元と北海道を飛び出して、また新しい環境で働こうと思います。歯科技師として」

大切なことはすぐ側に

そして僕は、最後の仕事を終えました。
「また北海道にきた時はうちに遊びにおいでね」と支配人が声をかけてくれました。
よく行っていた、コンビニやお店の人たちにも挨拶をしに行きました。
何なら、毎日通った道や眺めた空にも心の中でお別れを伝えました。
11月になり降りしきる雪を溶かす様に、みんなが暖かい声をかけてくれました。

なんだか第二の地元ができた気がしました。いや、北海道はもう僕の地元です。

あっさり飛行機で帰ることも考えたけれど、せっかくだし、これまでの時間を振り返りながら帰りたい、そう思い「実費でいいので」とハッシャダイリゾートの人には伝えて、フェリーで14時間かけて茨城県と東京に寄ってから兵庫県に帰ることにしました。

そうして、汽笛のなる船の中、今僕はこの文章を書いています。
僕はこの後、原宿にあるハッシャダイリゾートに行って、吉川さんに挨拶をしようと思います。
きっと、初めて会う気がしないんだろうなと今からワクワクしています。

そのあとは、兵庫県に帰り、身支度を整理して、違う土地に移り住む。次の場所はもう決めました。

東京です。

歯科技師を辞めてから僕は、たくさんの仕事と、そして人に出会いました。
人との出会いは僕の価値観を大きく広げてくれたし、その出会いを最も作ってくれたのは北海道という場所と、移住してみるという行動でした。
その一つ一つがきっかけとなって、今僕は新たな挑戦に進むことができている様に思う
人からみると遠回りに見えるかもしれないけれど、僕にとってはこれが近道でした。

大切なことは私たちのすぐ側に、そう、私たちの中にあると思います。
ただ、その大切なことに気づくことは簡単じゃなかったりします。
そうした時に、一人で悩むんじゃなくて、環境を変えて、新たな人と出会うことがきっかけとなって僕は僕の中の本当のやりたいことが、やっぱり歯科技師だったんだと気づくことができました。

おっと、もうすぐ船の消灯の時間になる様です。
最後に、一つだけ。

「あ〜、つまらんなぁ」はこれからも僕の口癖です。
でもそれはきっと、ネガティブな言葉じゃなくて、自分がつまらないことに目を向け初めているバロメータとなる言葉だと思っています。

これからも自分の思いには正直に生きたい。そして、もし悩んだ時があったら、北海道に遊びに行きたいと思います。

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